「世界の飢餓と日本の食は、切り離せない問題です」
現在、世界では7億人近くの人びとが食料不安に直面しています。そのうち、約3億人以上が命や生活に差し迫った危険のある急性食料不安の状態にあります。特に、パレスチナのガザ地区とスーダンでは死者が毎日発生する最悪の飢餓レベル「飢きん」が発生しています。その他にも、南スーダン、コンゴ民主共和国、イエメン、アフガニスタン、ミャンマー、ハイチ、数々の国々が深刻な飢餓のホットスポットとなっており、どこも暴力や紛争で人々の暮らしが脅かされているところばかりです。そんな中、WFPは世界で約1億2000万人に支援を届けています。この数は日本の総人口に匹敵します。
ところが今、WFPは未曽有の資金難に直面しています。2023年以降、世界的な経済不安や人道支援への優先度の低下により、活動資金が急激に減少しました。この状況が今年になってさらに悪化しました。現在、WFPは支援者数を削減せざるを得ない状況にあり、数千万の人々への支援が失われてしまっています。
この資金難は、単なる数字の問題ではなく、命の選別を迫られる現場の現実です。どの地域を優先するか、どの世帯に食料を届けるか、どの子どもに栄養支援を続けるか。その判断は、極めて重く、痛みを伴います。
たとえば、スーダンでは戦闘の激化により数百万人が避難を余儀なくされ、周辺国のキャンプでは難民が文字通り支援に依存しています。この状態で食料支援が削減されたり、中断したりしたらどうなるでしょうか。
またガザでは、停戦に関するニュースが出ていますが、長らく紛争の影響で人道的アクセスが制限され、支援が非常に困難な状況が続いてきました。ガザのほぼ全人口が飢えに直面している状況があります。
アフガニスタン東部では、紛争からの復興が進まず、経済が危機的状況にある中、1か月前、震災に見舞われました。もうすぐ厳しい冬がやってきますが、ここも資金が大幅に不足しており、十分な支援ができない現状です。
こうした活動は、外交的努力と人道的アクセスの確保、そして資金の供与という形での支援によって支えられています。平和と国際的な連帯なしには成り立ちません。
ここで、ある問いが浮かびます。「なぜ日本人が、世界の飢餓や紛争に関心を持たなければならないのか?なぜ日本が海外に食料支援をしなくてはならないのか?」
確かに、日本は世界で起こっている多くの紛争に直接的な責任を負っていません。そして今、日本国内でも貧困にあえぐ世帯や個人、コメの価格高騰など、食や飢えに関する課題が顕在化しています。そこはきちんと対処すべきであるのは言うまでもありません。その一方で、海外への食料支援や、食料不安の解消のための投資をやめてしまってよいのでしょうか?これらの国々での飢餓の増加はその地域をさらに不安定化させるリスクもあります。
また、今から80年前、終戦直後の日本では今のガザと似通ったがれきの風景が広がっていました。日本の戦後復興の際には、国際社会による支援もありました。たとえば、海外からの食料支援で学校給食や炊き出しも行われました。
現在、日本はG7やG20の加盟国であり、 国際社会の重要なメンバーです。支援を「受ける側」から「する側」へ、経済的に大きく成長し、平和と安定の恩恵を受けている国としての責任と役割があると考えます。さらに、世界の食料供給の不安定さは、食料の多くを輸入に頼っている日本にとって、非常に大きな影響を及ぼします。
5年前の2020年10月、WFPはノーベル平和賞を受賞しました。その理由は、飢餓との闘いが平和への貢献であるという明確なメッセージでした。食料への安定したアクセスが、人びとの尊厳を守り、希望を生み、地域に安定をもたらします。逆に、飢餓は社会の分断を深め、時に暴力の火種となります。食と平和は密接に結びついています。この受賞から5年が経ちました。
しかし、世界は今、かつてないほど複雑で不安定な状況にあります。紛争、気候変動、経済危機が重なって、飢餓のリスクは拡大しています。グローバルな食料システムの脆弱性は、国内の価格や供給にも波及します。つまり、世界の飢餓と日本の食の安全保障は、切り離せない問題です。
飢餓のない世界、平和な未来を築くためには、社会の分断や国の境界を超えた連帯が不可欠です。そしてその連帯は、日本という安定した国、世界の国々から敬意を受けている日本から手を差し伸べてもよいのではないでしょうか。
WFP世界食糧計画 日本事務所
代表 津村 康博