ガザの飢餓:支援でわずかな改善がみられるも、家族は依然として危機的状況に
かつてムラド・アル・アクラさんの大家族を養っていた地中海も、今ではほとんど魚がとれません。網を引き揚げ、1~2キロの魚がとれれば幸運なほどです。ガザの海岸から小さな木造船を出すたびに、命の危険を覚悟しなければなりません。
「今の私の暮らしは、ガザの漁師なら誰もが同じです。厳しく、疲れ果てる毎日です」と、ガザ中部のデイル・アル・バラに暮らす7人の子どもの父親であるアル・アクラさんは話します。「私たちを頼りにする家族や子どもがいるのに、もう十分に養うことができません」
ガザでは、多くの人びとが同じような状況に置かれています。人道支援や商業物資の搬入が増えたことで、食料の確保や子どもの栄養状態には、わずかながら改善がみられています。しかし、その改善はまだ不安定なものです。世界の飢餓状況を分析する総合的食料安全保障レベル分類(IPC)の最新分析によると、危機的またはそれ以上に深刻な食料不足に直面する人は、昨年末の160万人から減少したものの、現在も140万人に上ります。これはガザ地区の人口の3分の2以上に相当します。
ガザでは現在も約20万人のパレスチナ人が深刻な飢餓に直面しています。特に、人道支援が届きにくい、いわゆる「イエローライン」付近で暮らす人びとの状況は深刻です。このラインの先の地域は軍の管理下にあり、人道支援のアクセスは非常に困難です。また、現在ガザに通じる国境検問所は1カ所しか開いておらず、人道支援物資や商業物資の搬入は依然として制限されています。
WFPや専門家は、継続的な支援と復興への投資がなければ、家族は再び壊滅的な状況に陥るおそれがあると警告しています。すでに資金不足によってガザ全域で配給量の削減を余儀なくされており、必要な資金が確保できなければ、食料不足が急速に悪化する可能性があります。
「ガザでは食料をめぐる状況に改善がみられますが、その足取りは脆弱で、簡単に後戻りしかねません」とカール・スカウWFP事務局長代行は話します。「人道状況全体を見れば、依然として残酷な状況です。家族には水も衛生設備も医薬品も足りていません。ガザの人びとが復興への歩みを始めるには、支援を継続的に届けられる環境と資金、そして安定が必要です。」
命をつなぐWFPの食料支援
アル・アクラさん一家も、現在ガザで暮らす150万人と同様に、毎月のWFPによる配給食料、あたたかい食事、パン、現金支給に頼っています。紛争が最も激しかった時期には、人道支援活動への制限により、こうした支援はほとんど受けられませんでした。
しかし、それだけでは、一家がただ生き延びるだけの生活から抜け出すことはできません。「必要なものはまだたくさんあります」とアル・アクラさんは話します。「安全、医療、教育、そして生活を立て直すための支援が必要です。」
紛争中に飢餓が深刻化するなか、アル・アクラさんは家族に食べさせる魚をとるため、毎日船を出しました。無事に帰れる保証はありませんでした。今も治安は不安定で、その恐怖が消えたわけではありません。「漁に出なければ、子どもたちを養うことができなくなります。」
心配なのは飢餓だけではありません。娘の1人は腎臓病を患い、定期的な治療が必要ですが、2023年10月に紛争が始まると、それまで受けていた治療を受けられなくなりました。紛争中に生まれた末っ子は、紛争のさなかに重い病気にかかりましたが、栄養支援と治療のおかげで回復したといいます。
当時も今も、WFPの食料支援が一家の命を支えています。「私たちが生き延びる助けになっている数少ないものの1つが、WFPの支援を受けている地域の炊き出し所です」とアル・アクラさんは話します。
最も飢えが深刻だった時期を振り返って
人道支援によって、壊滅的な状況から抜け出すことができた家族もいます。現在、第2子を妊娠しているイナス・アル・コンブズさんは、栄養補助食品と継続的な診療によって健康状態が改善したと話します。WFPからは配給食料や現金支給も受けています。
「配給食料には、ひよこ豆や米、その他の豆などが入っています。どれも食事を作るのに欠かせません」とアル・コンブズさんは話します。「現金支給で、野菜など、配給食料に入っていない必要なものを買っています」
ソフトウェア工学を学ぶ大学生だったアル・コンブズさんは、紛争ですべてを失いました。紛争が始まった初日、ガザ市東部の自宅から何も持たずに避難し、移動を余儀なくされた大勢の人びとの中に加わりました。
「紛争中、10回近く避難しました」とアル・コンブズさんは話します。学校を利用した避難所で眠り、数十万人が飢きんに直面した1年前の最も厳しい時期には、1杯のレンズ豆のスープだけで1日をしのいだこともありました。
アル・コンブズさんは、幼い息子に授乳していた時期と、現在の第二子妊娠中の二度、栄養不良と診断され、今も体調がすぐれないといいます。口のまわりの激しい痛みや吹き出物のため、食べたり飲んだりすることも困難です。
ガザで暮らすほかの数十万人と同じく、一家は今もテントで暮らしています。給水車から水を受け取り、屋外の火で食事を作っています。紛争によって学業を中断せざるを得なくなり、夫は失業しました。その経験は、精神面にも大きな影響を及ぼしています。
「何より必要なのは、果物や野菜をいつでも手に入れられることです」と彼女は言います。市場では生鮮食品は今も品薄で、値段も高いままです。「卵や、そのほかの健康的な食べ物も必要です」
食料をめぐる状況は依然脆弱
WFPなどは、資金が減少するなか、ガザでみられる飢餓状況の改善が簡単に失われるおそれがあると警告しています。
「昨年、壊滅的な飢きんを経験したことで、ガザの食料をめぐる状況がいかに不安定で、その日その日の物資だけを頼りに支援活動を続けることがどれほど危険か、私たちはよく分かっています」と、ショーン・ヒューズWFPパレスチナ事務所代表は話します。「わずかな混乱でも、すぐに深刻な影響につながりかねません」
ガザ市の大きく破壊された建物で、母親であり祖母でもあるシハム・アブデル・アールさんは、紛争の最も厳しかった日々を振り返ります。爆撃で人びとが命を落とすのを目の当たりにし、娘たちが無事に出産できないのではないかと不安にさいなまれました。一方で、大家族が集まり、何不自由なく暮らしていた紛争前の日々も覚えています。
「紛争前の暮らしはとても幸せでした」とアブデル・アールさんは話します。一家は爆撃で破壊された自宅に戻りましたが、今では、瓦礫に防水シートやセメントを組み合わせて何とか形を保っているだけです。「今の暮らしは、まったく変わってしまいました」
デイル・アル・バラの浜辺に座って漁網を修理しながら、アル・アクラさんは、海がいつか再びよりよい暮らしをもたらしてくれることに希望を託しています。
「海は私たちの生命の源です」と彼は言います。「網を投げるたび、私たちは魚以上のものを探しています。家族を養い、生きていくための方法を探しているのです。」