6. 給食がかなえた夢(ゆめ)


 

「元気のもと」のおかゆで運転手に
 ケニア人の男の子、ウィルソンくんは、牛などをかって育てる農家に生まれました。が、6才のとき、ひどい日照りが起きて川の水は干上(ひあ)がり、牛が食べる草もかれてしまったため、ほとんどの牛は死んでしまいました。
 家族は、食べ物にこまりました。夕方になると毎日、ほかの家からは夕食のおいしそうなにおいがするのに、自分たちは何も食べられません。
 そんなある日、ウィルソンくんは親に、学校に入学するようにいわれました。途上国(とじょうこく)では、まずしさや家の手伝いなどのため、学校に行けない子どもが大勢(おおぜい)います。ウィルソンくんもそうでした。でも、学校に行けば給食が出るので、食べに行っておいでというのです。
 服すら持っていなかったウィルソンくんは、やぶれたズボンをはき、上半身ははだかで学校に通い始めました。それを見た先生が、制服(せいふく)を買ってくれました。
 ウィルソンくんは、給食を食べられることがうれしくてしょうがありませんでした。給食は、トウモロコシと豆の粉をにたおかゆ1品だけです。でも、栄養満点だったので、食べると力がわき、授業(じゅぎょう)に集中できました。
 そして、家にいるおさない弟と妹のために、毎日こっそり給食を持ち帰りました。自分が学校に行かないと弟と妹がおなかをすかせてしまうので、毎日学校に通いました。
 ウィルソンくんは、その後10年間しっかり学校で勉強し、運転手になる夢(ゆめ)をかなえることができました。

大人になり、今は国連WFPの運転手として働くウィルソンさん。
「給食のおかげ」と話します
WFP/Gerald Atisa

 

学校に通えば栄養+教育+未来
 ウィルソンくんが食べていた給食は、国連WFPの支援(しえん)によるものでした。国連WFPは世界60か国の学校で給食を出し、子どもたちが健康に育ち、勉強できるように応援(おうえん)しています。
 国連WFPの給食で育った人の中には、マラソンの世界記録をつくった選手や、世界で最も高い山であるエベレストに17才で登った登山家もいます。難民(なんみん)キャンプの学校から海外の大学院に進んだ人もいます。将来(しょうらい)は自分の国にもどって道路や橋をつくり、祖国(そこく)の成長の役に立ちたいそうです。

エベレストに17才で登った登山家のニムドマさん
©ACジャパン


 そのだれもが、給食がなかったら学校に通えず、自分の夢をかなえることはできなかっただろうと話します。
 日本でも、給食が始まったきっかけは、明治時代にまずしい子どもを助けるためでした。また、第2次世界大戦の後には、外国の助けで給食が出るようになり、戦争から立ち直る力となりました。

 

1食あたり30円で
 国連WFPの給食の費用は、1食あたり30円程度(ていど)です。少しのお金で、子どもの人生や国の未来が大きく変わるのです。国連WFPは世界中に給食を広めるため、がんばっています。

赤いカップで配られる国連WFPの給食。栄養満点のおかゆです=ケニアで
WFP/Marcus Prior

 

※この記事の原文は2013年5月に朝日小学生新聞に掲載されました。

 



子どもページ「飢(う)えのない世界を」

1. 「飢(う)え」ってなに?2. なぜ飢(う)えてしまうの?3. 国連WFPの緊急支援(きんきゅうしえん)
4. シリアはいま5. 栄養が貧困脱出(ひんこんだっしゅつ)のかぎ6. 給食がかなえた夢(ゆめ)
7. 支援(しえん)を「卒業」する8. アフリカで農家の支援(しえん)9. 支援物資(しえんぶっし)をどう運ぶ?
10. 「進化」する支援方法(しえんほうほう)11. 支援(しえん)の現場(げんば)で働く12. 世界とつながろう