世界難民の日:ウガンダに逃れた南スーダン難民の証言

Published on 20 June 2017

WFP/Henry Bongyereirwe

今日、6月20日は「世界難民の日」です。紛争が続く南スーダンと国境を接するウガンダでは、戦闘と食糧難から避難してくる難民の数が急増し、今年5月末時点で90万人を超えました。国連WFPは、難民へ食糧を配布し、生活を支えています。妻と4人の子どもとともにウガンダに逃れてきた、南スーダン難民のマイケルさんのお話を聞きました。

私はマイケル・ミンゴル・ソンと言います。1984年に、今は南スーダンに位置するジョングレイ州ボル郡ウェルコック村で生まれました。南スーダンを離れる前は、ボル市内の病院で看護師助手として働いていました。

私と私の家族は、ボルで戦闘が勃発した日の翌日、2013年12月19日に南スーダンを離れました。私は妻アィエンと、マチ、チョール、マンゴル、アブックという4歳から8歳の子ども4人を含め、総勢11人で逃れてきました。

ジョングレイを出たのは、生命の危険を感じたためです。兵士たちは人びとを射殺し、隣近所の人たちも逃げまどっていました。身の危険を肌で感じました。私は職場である病院に、去り行くことを告げる間もなく、たった一日で避難を決意し、夜のうちに出発しました。

当時1歳半だった私の末っ子アリエールは、ボルを去るときに妻の腕に抱かれていましたが、射たれて息を引き取りました。叔父もアリエールと同じ襲撃の際に殺されました。

ボルを出た後、私たちは歩き続け、ナイル川をボートで渡り、隣の州の川べりにたどり着きました。避難ルートを調べ、動いても安全かどうか確かめていると、10日間が過ぎてしまいました。

避難前、私たちにはたくさんの家畜がいましたが、すべて村に置いていかざるを得ませんでした。ヤギや牛もいました。私たちが持って逃げたものと言えば、蚊帳と最小限の衣服や毛布、小銭と当面の食べ物だけでした。道中の腹の足しにするため、ソルガムという雑穀や豆も荷物に詰めました。

川べりで過ごしているとき、手持ちの食糧が尽きてしまったので、地元の人から魚を買わなければなりませんでした。そしてようやく、トラックの荷台に乗って、南スーダンの首都であるジュバへ南下しました。その頃には所持金のほとんどを使い果たしてしまっていたので、トラック運転手に何とか連れて行ってほしいと懇願しました。

南スーダンではそこかしこで戦闘が起こっており、2日間かけてジュバにたどり着くまで、私たちは常に恐怖にさらされていました。

トラックの荷台の上では、太陽が強く照りつけていたのをよく覚えています。水も食糧もありませんでした。ジュバに着いてからはまた歩き続け、ニムレ経由で国境を越え、ウガンダのエレグにたどり着きました。ウガンダに着いたときには、ボルを出発してから1カ月が経っていました。

私たちが夕方遅くに着くと、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とルーテル世界連盟が保護してくれました。国連WFPは食糧をくれました。こうして何とか新しい生活を始めることができました。

ウガンダでの生活は悪くないです。ここは安全だし、戦争もなく、子どもたちも学校へ通うことができます。医療サービスも受けられ、食糧も配給されます。

食糧は暮らしに不可欠で、とても重要なものです。子どもたちは特に豆が大好きです。食糧は予定通りに配給され、家族それぞれの分をもらえます。これで朝も夜も食べることができています。