事務局長


 

デイビッド・M・ビーズリー事務局長

略歴

40年以上にわたる公職およびビジネスにおけるキャリアの中で、米国サウスカロライナ州の元知事であるデイビッド・ビーズリーは、米国内のみならず世界中で、政治、宗教、民族の境界線を越えて働き、経済的発展、教育、異教徒間の協力、最も脆弱な人々に対する人道的支援を擁護してきました。

過去10年間、ビーズリーは100カ国以上の平和、和解、経済発展を促進するプロジェクトで、影響力のあるリーダーや現場のプログラム・マネージャーとともに働いてきました。例えばエチオピアでは、在ローマ国連機関(国連食糧農業機関〔FAO〕、国際農業開発基金〔IFAD〕、国連WFP)米国政府代表部元米国大使であるトニー・ホールとともに、児童や国内避難民の食糧へのアクセスを向上させるため慈善団体「プロジェクト・マーシー」との連携に取り組みました。

ビーズリーは、南スーダン、スーダン、チュニジア、イエメンなどの、長期にわたって政治的、民族的、宗教的緊張がある地域において、経済界、政治、非政府部門の間の協力やコミュニケーションを強化する支援も行いました。例えば昨年、ビーズリーとそのチームはコソボで国際会議を主導し5日間の対話にバルカン諸国から数百のビジネスや政治のリーダーを集めました。

知事として、ビーズリーはサウスカロライナ州の改革の展望を示しました。ビーズリー元知事は、運営・管理システムを改革した新たな政府を実質上設立し、内閣形式の政府を率いたサウスカロライナ史上初の最高行政官でした。チームワークと連携を頼りとした、ビーズリーのチームの創造的な取り組みには、とりわけ州刑事司法制度、経済、福祉制度、教育制度などの見直しが挙げられます。彼の就任時のサウスカロライナ内閣はチームスピリットと協力の雰囲気の中で隆盛を誇りました。

ビーズリーの大きな業績の一つに州の商務局の再編があります。知事就任時、それまでの経済の柱であった繊維製品、農業、軍事支出は落ち込んでいました。測定可能な目標を設定し成長が見込める特定産業に注力することで、彼は州の経済を、鉄鋼、自動車、化学、プラスチック、医薬品の財・サービスに基づく、健全で、多様で、強い市場に転換しました。2年のうちに、サウスカロライナの失業率は最も低いレベルを維持できるようになり、民間セクターからの年間資本投資は20億米ドルから60億米ドル以上に増加しました。これはBMW、ホンダ、ブリヂストン、ファイアストンといった会社からの国際投資に大きく支えられたものです。

公共政策に加え、ビーズリーは危機においては優れた統率力を発揮しました。ハリケーン襲来の際には、ビーズリーが襲来前から事後に至るまでリーダーシップを発揮し、混み合う時期の観光地、学校、医療機関、企業や家庭などの、サウスカロライナ沿岸の何十万もの人々が避難することができました。彼のリーダーシップにより自然災害の最中および直後において最も脆弱な世帯が避難し、食糧や医療サービスの提供を受けることができました。

ビーズリーは同輩により共和党知事協会の会長にも選出されました。知事になる前には、ビーズリーはサウスカロライナ州下院議長代行、サウスカロライナ州下院の民主党の多数党院内総務、サウスカロライナ州下院教育委員会長、および教育に関する両院合同委員会長を務めました。また、10年間、米国保健福祉省の全米地方保健諮問委員会長も務めました。

政治家として、ビーズリーは大衆に向けて効果的かつ透明な形で物事を伝えるよう日常的に求められてきました。知事および複数の政府委員会の会長として、ビーズリーは外交スキルに磨きをかけ、公職を去った後もそれを活用し続けてきました。2001年9月11日の攻撃からほんの数ヶ月後、ビーズリーはチュニジアで国際経済会議を主導し、貿易政策、外国直接投資、情報技術に関する欧米の専門家を、チュニジアの政府関係者ならびにビジネスリーダーと団結させました。さらに過去15年の間、ビーズリーは、コソボ、南スーダン、スーダン、チュニジア、イエメン等、世界でも最も紛争の影響を受けた地域において会議や派遣団を主導しました。

ビーズリーは、紛争解決には個人の対話や人間関係が決定的に重要であると確信しており、平和やより良い関係を築くため政治的および宗教的に対立する者同士を呼び集めてきました。彼は毎年30もの国々へ訪問し、より良い対話を促し平和を促進するため異なる国や党派のリーダー達を呼び集めています。各地への訪問を通じて、ビーズリーは、各国の首脳や国会議員など、多くの国のリーダーと緊密な人間関係を発展させてきました。このネットワークを活用して、国連WFPの支援基盤を拡大することとなります。

ビーズリーは、現在の米国政府と緊密なつながりがあることはもちろん、米国議会歳出委員会のメンバーとも強固な関係を享受しています。

ビーズリーは、州議会議事堂から南部連合旗を撤去することを要請した初めてのサウスカロライナ州知事であり、その主張が大きく影響して再選はなりませんでしたが、ジョン・F・ケネディ「勇気の人」賞が授与されました。ビーズリーは、任期中何度も、和解と平和を促すのと同時に深刻な人種間の緊張を和らげる取り組みを主導し、この問題の解決を進展させるため人種間関係委員会を設置しました。ビーズリーは女性や少数派の人々を内閣や上級職に登用しました。彼の政権下、サウスカロライナはトップのリーダー職に就いている女性の割合が全米一の高さでした。

知事の任期を務めた後、ビーズリーはマサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学ケネディ行政大学院のフェローとして招かれました。

ビーズリーはサウスカロライナ大学で学士号(B.A.)と法務博士(J.D.)を取得しました。メアリ・ウッド・ペイン(旧姓)との間に4人の子どもがいます。

(最終更新日:2017年4月)